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碩鼠漫筆

あばた( ○○○) といふ瘡痕の名〈附 いも( ○○) といふ名義}
世俗の里言に、皰瘡の痕の治りあへぬお、あばたといふは、梵語よりや出けむ、無下に近ごろいひいでためれど、ふと浮屠氏などの呼そめたりしが、普く世間に弘まれるにもあるべし、かく思ひとらるヽ由は、翻訳名義抄巻の二地獄篇に、八寒氷地獄の名お明したる中に、一お 額浮陀( あぶた) 〈又額部陀ともあり〉と名づくと有て、註に、倶舎雲疱、寒触身分、皆悉生皰とある、あぶたおあばたと呼ならへるにぞ有べき、〈法苑珠林巻十一地獄部には、何因何縁名額浮陀地獄耶、此諸衆生、所有身形、猶如泡沫、是故名為額浮陀地獄、額烏割切と見えて、こは異説なり、〉又この痕おいもとも呼ぶは、禁物の省呼なるべし、古来腫物お二禁といふも、相似たる事おおもふべし、但和訓栞にもがさ痘おいふ、続日本紀に、豌豆瘡俗曰裳瘡と見えたり、今疱瘡也と見ゆ、垸豆瘡も同じ、一村流行する裳お曳下るが如し、よて名づくるよし、大同類聚方にみえぬ、一説に痘家古へ戸お閉て出ず、父母の喪に居るが如し、よてもがさと雲ふともいへり、又いもがさの略、今もいもと称せり、忌の義、痘家もはら忌事多くあるおもてなり、東国にて、もつかひともいへり雲々、〈以上和訓栞〉と見ゆるも、忌の義といへるは似たる如くなれど、諾ひ難く、もがさは必 面瘡( おもがさ) なるべし、〈 裳( も) 瘡は、国史にみゆれども、隻借字なる事明らかなるお、此字に就て説おたてたるは附会なり喪瘡の説は殊にわろし、〉さるは、倭名抄巻〈の〉三〈瘡類〉に、唐韻雲、皰〈防教反〉面瘡也、類聚国史雲仁寿二年、皰瘡流行、人民疫死、〈皰瘡、此間雲裳瘡、〉とある面瘡の字面たしかなるべし、猶同篇に、病源論雲、飼画、〈和名加須毛〉面皮上有 滓( かす) 是也とあるおもおもひ合すべし、〈又同条に、熱沸瘡、和名阿世毛とあるも同義とすべきか考ふべし、〉かヽれば、もがさは 面瘡( おもがさ) にて、あばたは、それが梵語の訛、いもは禁物の省呼としるべし、