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壒囊抄

疱瘡とはもがさ也、順が和名には皰瘡と書く、是亦疫癘也、本朝に疱瘡お病初也、筑紫の者、魚お売りける船、難風に逢て、新羅国に著く、其人移り病て帰りけるが、次第五畿内に及び、帝都に流布しける也「其時葱韮お食て平愈する者多かりければ、明る九年の官府に雲此病成痢時、葱韮お煎じて可多食雲々、其後も度々葱お食者多く験しありと雲へり、但雅忠が説には、熱気の間に可食初、熱醒て後は可忌、然共熱醒て食初る人も多く直りけると雲々、又村上院御宇天暦五年辛亥又京畿に大疫あり、空也上人自から八尺の十一面の像お刻て、其法お修て、疫病即止、是今六波羅密寺の本尊也、