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妙法寺記
大永二年、此年小童 痘( も) おやむ、又 いなすり( ○○○○) おやむ、大概はつる也、
天文六年、此歳童子共痘お致し候事限なし、 十九年、是春小童ども疱おやみ候而、皆々死こと不及言説、下吉田計にて五十人許死申候、余りのことに書付申候、