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橘庵漫筆

痘瘡は、本朝往古なかりしお、筑紫より流行来れりと伝紀に詳なり、これが論は志ばらく閣、いづれも当れり、尽せる故なり、然ども其の初筑紫より流行すといへども、壱岐の国、肥後の天草地続の処は、 肥前の大村領( ○○○○○○) などは、昔より疱瘡お志らず、然といへども迦逅伊勢参宮などするとき、他国に疱瘡流行する期に行合すれば、夫に感じて痘お病なり、左有ときは、同行の連これお恐れて、路傍に打捨行とき、病者旅宿お求保養するなり、類族合壁の者といへども、捨置事如斯し、残忍なる様なれど、誤て国に帰るときは、合壁より隣村に伝染し、甚敷ときは国中に流行す、然れば容易痘根絶がたく、大にくるしむなり、予が類族、壱州の問丸おす、依て目前見る処なり、是胎毒に依や、先天の欲火によるや、他国の水土に感ぜし者、国中に充るは何んぞや、其所に於て一国一郷痘お知らざるは何ぞや、謝氏の説も又宜なり、