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玉勝間

あかもがさ
日本紀略雲、長徳四年七月、天下衆庶煩疱癘、世号之稲目瘡、〈○中略〉稲目瘡と名けたるは、蘇我稲目大臣の事お思ひてなるべし、書紀欽明御巻十三年、疫気のおこりし事考ふべし、又敏達御巻に、十四年天皇与大連卒患於瘡雲々、又発瘡死者充盈於国、其患瘡者、言身如被焼被打被摧、諦泣而死、老少窃相謂曰、是焼仏像之罪矣とあるも、あかもがさにやありけむ、〈○中略〉赤もがさは、今の世にはしかといふ瘡也、