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栄花物語
三十九布引の滝
としかはりぬれば、承保四年、〈○承暦元年〉といふ、〈○中略〉四五月ばかりより、 あかもがさ( ○○○○○)といふこと出きて、世の人やむなど聞ゆるに、六七月になりては、いみじうやみまさりて、のこるなくきこゆ、五十三年にいできたれば、おいたるわかきとなく、おやこもわかず、ひとたびにやみければ、おきたる人すくなくありける、六七十の人は、人のもとにもすくなければ、いといみじくなんありける、むかしなんかヽるもがさいできたりける、かんのとの〈○妥子〉のうせさせ給ひしおりは、いとかくはあらざりけり、三百年ばかりになりたるになんかヽりける、秋ふかくなりては、よき人々やませ給、うち〈○白河〉中ぐう〈○賢子〉みやたちくわんばくどのヽうへ〈○師実至麗子〉大将殿〈○師通〉などみなおなじほど、すこしうちすがひなどしていでさせ給へば、御いのりかずしらず、しおきぶきやうみや〈○敦賢〉うせさせ給ぬ、御むすめにおはしませば、斎宮〈○淳子〉おりさせ給ぬ、八月に故右おほとの〈○頼宗〉の御子、ほりかは中なごん、初〈○頼宗子能季〉右京大夫みちいへ、ひやうえのすけこれざね、蔵人いへざねなくなりぬ、中なごんひやうえのすけは、うへもなくなり給ぬ、あさましきよにぞ、たじまのかみたかふさ、とうぐう亮経重などなくなりぬ、民部卿〈○俊家〉のきたのかた、たじまのかみのむすめ、たうぐう亮のきたのかたなど、おほかたあさましきころなり、すき〴〵て、うち〈○白河〉の一のみや〈○敦文〉御もがさのなごりなほえおこたらせ給はで、八月六日ついにうせさせ給ぬ、たれもたれもおぼしなげかせ給ことかぎりなし、うちにも、との〈○師実〉にも、いふかたなくなげかせ給、大なごんどの〈○顕房〉などいかなる御こヽろのうちなりけん、