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年々随筆

ことし、〈○享和三年〉はしかといふえやみおこりて、高きいやしきみなやみのヽしる、卯月ばかりよりの事にて、五月みなづき、家々おちずやみつヾけたり、この病は、生る限にたヾ一たびわづらふ事にて、二十年余、物へだてヽおこる事也、さきの度には、おのれ〈○石原正明〉もわづらひつるお、まだおさなきほどにて、はか〴〵しうおぼえねど、世にしらずくるしかりしとばかりは猶わすられず、それは安永五年の事也といへば、廿八年さきの事也、さやうにまれ〳〵にのみあるものなれば、くすしなども物なれずて、たど〳〵しうのみあめり、さきの度にもはら療治せしは、此比老しれて、物の用にたつは少く、此ごろむねと療治するは、さきの度はまた書生にて、りの術およくもおぼえず、されば薬もよくもあたらぬにやあらむ、人のおほくしぬめるは、せんかたなく悲しき事也、ふみ月のほどは、たヾ死にしにて、のべの烟も天雲とたなびくばかりなりし、世の常なきは今にはじめぬ事ながら、これはたヾわかくさかりなる人のかぎりわづらふ病なれば、いと悲しき事のみおほくて、世もかくて尽ぬるにやとおぼゆかし、おのれが親しきあたりにも、かなしき事どもおほかり、加藤淡路守殿の北方うせ給ふ、ぞの比たき物まいらせてつヽみ紙に、
魂おかへす香のりれならで夜半の煙やおもかげに立
久留金之助殿の御りひ臥も、ふみ月ばかりよりわづらひて、葉月長月やう〳〵よわりもてゆきて、神浄無月のはじめになむうせ給ひし、五七日は霜月十日ばかり也、金之助殿の母君、後の御いとなみし給ふおとぶらひきこえて、
衣手のかはく世やなきかきくれし時雨は雪と日数ふれども、とよみてまいらせつ、又先生〈○確〉のおさない君、これはまだ二つにてうつくしうつぶ〳〵とこえて、此ころ何となき物語し、高やかに打わらひなどして、らうたき事かぎりなし、おのこはこれひとつにてさへあれば、よるひかる玉とこりもてかしづきしか、行末はおのれちからお尽して、箕裘ときこゆるわざも、すべて何事も点つかるまじく、うしろみたてむとおもひつるに、雑熱などいへば、心さわぎして、いかでこたみつヽがなくなどいのらぬ神も仏もなし、ゆヽしき御大事ぞなど、くすしどもの打かたぶけば、いとおそろしけれど、さりともことなる事あらじと、神仏おたけきものにおもひつるに、三日ばかりありて、たヾきえにきえ入たまへば、心地ほれ〳〵として、おもひわくかたこりなかりしか、此時はあまりのかなしさに、歌などもいでこず、