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塵塚談

享和三年癸亥四月より、江戸麻疹大に流行、貴賤多く是お患ふ、予が外孫内藤義一郎十三歳、吾家にて養ひけるが、五月十三日暁より頭痛発熱し、面部手足麻疹一面に出、少し重き麻疹と見えけり、其日近隣組屋敷、鉄砲稽古日に有けるに、見物に行き度よし望に付、よからぬ事とは思ひながら、病人の事、其意に任せ差遣しけり、自分にも玉数二十二丸放し、夕方帰る所、麻疹過半癒たり、家内の者大に驚き、土間といひ冷たるにより内攻と思ひ、我にも心痛せしが、気分よく食事も常体、何事も平素に替らざれば、少しは安堵しけるが、即日に癒ける故、心お痛めしが、如何ともせんすべもなく、其日お過しけり、十四日朝、全く癒ていさヽか障もなし、鉄砲自分も放ち、玉音お多く聞ゆる故に、気お替へ、たヾ一日にして癒けり、〈○中略〉義一郎荊妻両人は、思ひ設けずして早速に全快せし也、顕道此度の麻疹病、四月廿一日より、七月朔日迄、他の病人百廿三人、親族家僕十九人、養生所病人の内十六入、都て百五十八人、内に孕婦九人あり、百五十八人、死せし者一人もなし、義一郎がごとき、一日に癒し者も、隻一人なし、