[p.1409]
時還読我書

乙未〈○天保六年〉臘月中旬より、都下 風〓( ○●) 大に行はる、其初寒熱甚く、それより周身赤癮お発し、恰麻疹の如く、不食咽痛殆ど麻疹に似たり、軽は一二日、重きも四五日にして快復せり、俗呼で 三日はしか( ○○○○○) 、又 はしかかぜ( ○○○○○) と称せり、翌年正月中は最盛にて、貴賤も患ざるはなく、三月中までも発するものあり、安永己亥〈○八年〉にもかヽることあり、其時も三日はしか、又 おせわかぜ( ○○○○○) などと呼りと、老人の話なり、〈鶴陵の保嬰須知にも論ぜり〉是歳の疫には、大抵軽は葉氏真武湯お用ひ、熱稍甚きは柴葛解肌湯にて大略は愈たり、猶劇きに石膏お用たり、桂麻にて邪気纏綿せしもの、間これお見たり、