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時還読我書

文政壬午〈○五年〉の秋末冬初、浪華に 三日ころり( ○○○○○) と称する病流行せり、初は鎮西より起りて〈九洲にはさのみ多からず、絶て行ざる処もありしと、〉中国に至り〈芸州など猶甚といへり〉浪華に及ぼし、京師にも偶は病ものありと、其証初起卒に悪寒し、続て吐瀉甚く、或は胸隔へ迫りて、急なるは日お出ず、緩なるは三日許にして弊るゆえ、かくは名けしと、浪華にては甚多く、沿門闔戸死亡するものありときけり、導水瑣言にいへる三日坊の類なるべしといへり、何れ霍乱の一種にてもあるべきか、百百漢陰は増損理中丸の証なりといヽ送りたり、げにも然るべし、