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皇国医事沿革小吏
後編第六期
文政五年〈紀元二千四百八十二年〉八月、虎列剌病始めて我日本に流行し、先づ西国山陰山陽の両道に発し、伝播の速かなる僅かに一日お経く、既に畿内に蔓莚し、病勢甚だ猛劇にして、毎戸殆んど其惨害お蒙らざるはなく、挙家一人も余さずして悉く死亡したるものあり、当時其病の何に属するお知らず、狼狽其措置お失す、桂川甫周、大槻玄沢、其証候お考へ、断じて真性亜細亜虎列剌なりとせり、時に長崎出島の和蘭製作所長じやんこつく、ふろんほつふ、蘭医ぼういーるの、虎列剌新治法の一小冊子お、我政府に捧呈せり、宇田川榕庵直に之お邦語に訳述して、之お世に頒つ、名けて虎列剌 没爾爸斯説( もるぴゆす) と雲、是に於て世間始て本病の治法拠る所あるお知る、