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塩尻
三十五
我尾府下の小児暴瀉の症に懸り、急に死する者多し、〈夏は猶甚し〉諸医大概手お束て治療の法なきがごとし、食厥気厥の類示多は暴瀉に混じ、見分る事お誤るもの少からず、去年我府に来る朝鮮の医官奇斗文に府下の医某是お問、彼曰、此症温熱お解するお専らとす、宜く寒冷の薬お以て療すべしと、我国専ら温補する者と大に反せり、彼此病お慥に不知かと言しに、長崎より来り住せる医者が曰、彼誤るべからず、水土に依て療治方等しからず、そは西国には暴瀉気厥の症有事少也、其治方多くは寒冷お以てす、当国の水土お考ふるに、土気甚薄く水気漏安し、是に感じて生ずる人なれば、脾胃の気薄くして漏洩し安き歟、産後脱血脱気して暴死するもの、此国のみ多く聞ゆ、人気お受る事薄く侍る故なるべし、此お以て寒冷の薬多く害ありて、温補の治療相応ずるにや、されど京師難波及び東都、今人参の大剤時めき侍る、是に依て又害おなす事多し、今日我人温剤になれ、寒冷の薬お用ゆる事お恐るヽゆへ、あたらぬ事間々ありと見ゆといへり、