[p.1450][p.1451]
瘍科秘録


癘は素問に出づ、肘后方に始て癩と称す、後世の医書多く癩の字お用ゆ、癩癘通用すれども癘お本字とす、礼月令に、仲冬行春令、民多疥癘と雲ひ、韓非子外儲説に、砺憐王、史記予譲伝に、漆身為砺〈砺お癘に作るは後世の事なり、利お痢に作り、淋お淋になすの類みな同じ、〉共に癘の字お用ゆ、又悪疾大風大麻風等の名も通用す、 天刑( ○○)と断りたるは医学入門なり、其他の名多しと雖ども、枚挙するに暇あらず、此病因お、素問お始め諸方書の内に、不正の風お受て病ものに論じてあれども実は然らず、飲食お慎まず、縦に禽獣の肉及び 叔鮪〓〓魚( まぐろかつほ) 鰛等お食して、自然と敗血お生じ、諸瘡瘍の病因と成なり、其内にて敗血凝滞すること劇しきものは、癘風に化するなり、自発するものは此因より起れども、父母の血脈お伝へて患るもの多し、或は血脈の正しき家にも、血脈正しからざるものお娶て、其子弟の癘風お患ふることあり、此病万病中の異証にして、古より難治とす、其内にも陰証と陽証とあり、陰証のものは身体の内、幾処も麻木不遂して、口眼喎斜になり、持たるものお思はず堕し、草履のぬけたるも知らずに居ることあり、或は骨節疼痛筋脈拘急し、遂には十指共に屈して伸びざるものあり、或は先魚際合谷の肉脱し、 削( そい) で去りたる様になり、久しくして総身羸痩するものあり、或は 癜風( なまづ)の如きもの幾処も発し色お変ぜず、瘡郭の内は〓痺( しび) れて白屑お起すものあり、何れも不治に属す、陽証のものは赤斑お発すること、癜風の如きも 頑癬( たむし) の如きも楊梅瘡の如きもあり、或は小疹お発すること、漆瘡麻疹の如くにして、面目の腫るヽもあり、或は赤く腫起て、癗塊お発するもあり、或は水泡お発すること湯溌火焼の如く、作ち潰て腐敗するもあり、是は最初に治療お加ふるときは、十に二三お治すべし、若し毒盛に指脱落して、生薑の如くなるもの、足心穿ち坑お成すもの、鼻梁の崩るヽもの、鬢髪及び眉毛の脱落するものに至ては、神方妙術ありと雖ども、治すること能はず、又腹に塊癖のあるもの、気血の運り不順になり、面色及び手足の色も紫になり、冬時厳寒の頃に至れば、気血愈運らずして紫黒色お成すもの、或は臁瘡の久しく愈ずして、総身まで発するもの、或は鵝掌風の毒深くして、十指共に屈するもの、及び脱疽黴瘡の類は、其形状殆ど癘に疑似する者あれば、誤て混ずべからず、平人卒然として口眼の喎斜することあり、〈此証病は喎斜せざる方にあるなり、故に微腫して色お変じ不遂するなり、病のなき方は常の通りに動く故、却て喎斜する様に見えるなり〉、此は乃ち中風なり、重きときは半身不遂するが常式なれども、軽証ゆえ唯半面の不遂したるなり、是も砺に似たれば診法お詳にす可し、癘には必ず死肌とて、麻木不仁して寒熱痛痒お知ざる処あり、試に鍼お五分も一寸も刺に、疼お覚えざる処のあるもの、或は灼炙るに痛お覚えざる処のある者は是死肌なり、後必ず癘お発す、佗の瘡瘍の癘に似たるもの、及び癘も初起にて定め難きものは、先鍼お刺て死肌ありや否やお試て嫌疑お決す可し、又眼中稜角お生じ、 烏睛( くろめ) の微に赤色に変じ、光のある様になるものは、是又癘の一候なり、