[p.1452]
閑田次筆

光明皇后、貴賤おいはず、千人に施浴し、御みづから垢穢お洗浄したまへりし其終に、癩疾のものいたりしお、なほいとはず、さき〴〵のごとくあつかひ給へりしかば、忽ち阿閦如来と現れましゝといふこと伝記に見え、今も奈良坂に阿閦寺の名ごりおとゞめ、癩疾のもの、長屋お建て住り、彼故事によりてや、施浴の勧進するよしの札も見ゆ、その奇瑞の虚実は論ぜず、凡善お修するも、功徳お行ふも、その人の相応有べし、皇后の善は皇后の善あり、此后の御所為はなはだしからずや、御女孝謙天皇の道鏡お寵したまひしも、此人もと譲持の僧にてありしより起り、畢竟閨門の法度正しからざるに基するなり、〈○下略〉