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源平盛衰記
四十四
平家虜都入附癩人法師口説言并戒賢論師事
其中に鳥羽里の北、造道の南の末に、溝お隔、白帯にて頭おからげ、柿のきものに中ゆいて、朽杖など突て、十余人別に並居たり、乞者の癩人法師共也、年闌たる癩人の、 鼻声にて語お聞ば( ○○○○○○○○) 、人の情お不知、法お乱るおば、悪き者とて 不敵癩( ○○○) と申たり、去共此病人達の中にも、不敵たるもあり、不敵ならざるもあり、又直人の中にも、善者も不善者もこも〴〵、也、世の習人の癖也、此法師加様の病お受たる事、此七八年也、当初事の縁有て、文章博士殿に候し時、田舎侍に小文お教られしお聞ば、世は人の持にあらず、道理の持也と雲事およまれき、又清水寺に詣て通夜したりし時、参堂の僧の中に、法華経お訓に綴読あり、近付寄て聴聞せしかば、不信の故に三悪道に落と読れき、此内外典に教たる、二の事、耳の底に留て明暮忘ず、心の中にたもたれて候ぞ、前世の不信の故、道理お不知ける罪の報にて、此世まで懸る病お受て候へ共、程々に随は、道理おば背かじと、不信ならじと、深く思執て候へば、心中おば神も仏もかヽみ給て、本地垂跡の御誓誡ならば、来世は去共と憑思て候ぞ、就其も不及事なれ共、思合らる、此平家の殿原の、世にはやらせ給し有様と、今日の事様と、申ても〳〵浅増く候、〈○中略〉今の内大臣〈○平宗盛〉殿の有様こそ、はかなく無慚なれ、其に取ても、禁忌敷事お承ぞとよ、入道殿の世におはせし時より、妹の建礼門院に親くよりて被儲ける子お、高倉院の御子卜雲なして、王位に即申たりけるとかや、不及心にもさも有けるやらんと覚え候ぞ、去ばこそ受禅の君とて、内侍所なんど申す様々の御守共お、取加られて御座ながら、不持してかヽるひしめきは出来て候にこそ、此事の起たヾ不信よりなる事也、されば入道殿も臨終浅増くひして、悪道に堕給けり、今わたさるヽ人々も、生ながら悪道に堕られたりと覚ゆと雲、又並居たる長しき乞者が雲様は、御房の宣ふ様に、人と生て仁義お不顧、恥お不知者おば 人癩( ○○) と雲、聞え給大臣殿に近づきよりて、見参おせばやな、恥お不知人に御座けるにこそ御座けれ、一門の殿原は、皆海に入給けると聞ゆるに、何とて命の惜かるべきぞ、哀 人癩( ○○) の 上臈癩( ○○○) かな、子細なき我等が同僚にや、但此間の御心は、恐らくは我等には劣給へり、いざ〳〵御房達、大臣殿の此前とおり給はん時、車お抑て辱号かくに爪つひず、勘当かぶるに歯かけずと、拍子て舞踊らんと雲、是お聞る余人々雲けるは哀也、みめさまこそ禁忌しけれ共、心の至は恥しくも語りたりといへば、又傍に有ける僧の雲様は、病は四大の不調よりも発る、又先業の報ふ事もあり、心は失ぬ事なれば、形にや依べき、〈○中略〉去程に内大臣殿の車近なるとて、見物の上下色めきければ、武士共雲霞の様に打囲て、雑人お払ければ、口立る乞者法師原も、蜘蛛子お散して失にける、