[p.1456][p.1457][p.1458][p.1459]
近世物語

貞婦応天感
天保四年の頃、車力渡世善兵衛といふ者、数年癩病お患しに、次第に難症と成しお、妻千代深切なるものにて、厚意に看病せしかど、日お追て愧態お顕しければ、善兵衛つく〴〵思ふやう、凡世上は花咲ば集り、花散れば離散する習ひなるに、我もとより薄命にて、漸く車力お以て其日お送りしさへ、妻の貧苦に迫るお心苦しく思ひしに、今斯人と交も成がたき悪疾お得しかど、更に意に懸る気色もなく、益貞操お尽す事の不便さよ、是則貞女烈女といふものなるべし、かゝる貞節の婦お苦しめ、如何に服薬療養なすとも、更に其効験はあるまじ、我此家お立去り、如何にもして、世に隠れ住ならば、妻も一身の働にて、心安きかたも有ぬべしと思案お極め、或日妻千代に向ひ心中お明し、若し三け年も音信なき時は、我死したりと思ひ定て、一身の片付も心次第になるべしと言放ちて立出るに、千代泣々止めけれども、耳にも入れざる体にて出行けり、かくて年月移り行、同き戌どし、風斗、善兵衛未だ存生のよし、仄に千代聞付て、さすがになつかしくもいたはしくて、何卒在所お尋ねばやとて、日夜おわかたず、あなたこなたと探索せしに、善兵衛はもとより非人の員に入、仲間の非人共へ兼て頼み置しは、もとかやう〳〵の婦人、我お尋来る事も有とも、必必かくと告呉まじと、堅く口固めせしかば、かくぞと告るもの更になし、千代も余りに尋かねて、気力も今は疲れはて、兎やせん角やせましと思煩ひしに、猶又或日所々探し、亀井戸辺に至りしに、一人の乞食、是も癩病にて、いと見苦しき体にて打臥たり、千代立寄慰問し、扠吾夫善兵衛といふ者、かやうの体にて乞丐してや有ならん、女見聞せしことなきかと尋しに、乞丐答けるは、いかにもさる人有て、我等が仲間に入漂泊せられしに、先年既に死去せられしなりと、委細に語るものごし、何とやらん夫善兵衛に妨仏たりといへども、数年逢ざるうへ面も腐漣し、手足も腫て膿血お出し、目も当られぬ有様は、さすがに我夫とも思はれず、去ども委敷善兵衛お知たるも不審なりと思極めて、そこは吾夫善兵衛なるべし、かく迄諸所お、狂ひ歩行、よる画思ひ焦るゝ妻の心お憐ずや、いと難面の心やと、且恨み且銜し、さま〴〵責問しかば、乞丐今は忍かね、我こそは善兵衛なれ、命つれなく今が今迄ながらへて、かゝる姿ながらに、再対面する事の恥かしさよ、是よりふつ〳〵思切、我お尋ぬる事なく、世の営お大切にすべし、我はかくて夕お待ぬ露命なり、必ず念に懸る事なかれといひけるお、妻はなく〳〵手お執て強て伴ひ、其節千代が住居、新材木町杉森稲荷新道に連帰り、いよ〳〵益精魂お砕き、医療お尽し仏神に祈誓お懸け、夫の平愈お一心に祈るといへども、所謂業病不治の症なれば、更に寸効もなかりけり、善兵衛貞婦の我我故かくまで困苦するお見るに忍びず、つら〴〵思ふやう、迚も此悪疾にて終に死すべきなれば、一時も早く世お去りて、妻の苦患お救ひ度、変死せば、四隣お騒がすべし、毒お呑て死せんには、薬石容易に得がたし、如何がはせんと案ぜしに、ふと思出せしは鰒は毒魚にて、是お喰ものまゝ即死す、しかるに炭俵の口にせしお、枯杉木の枯葉お以て、鰒お丸のまゝ煮てくらふ時は、十人が十人ながら必死すといへり、
按に、鰒と莽草は至て食忌にて、莽草の実お喰し河豚は必ず人お殺す、依之炭俵の口とせし莽草、鰒お煮る炭に雑る時は、其河豚必ず人お害す、是故に酒店抔にては、莽草お口とせし炭お能く吟味して遣はざるよしなり、枯杉の事恐くは伝聞の誤か、又はさる事も有るにや、合せ記し後鑒お竣つ、
是は我ための鴪毒砒霜なりとて、妻の他出お伺ひ、鰒の丸煮お調し、十分に食せしかば、忽眠眩して鼻口より血お吐事火敷、喚〓の声両隣に聞へしかば、皆々驚き何事やらんと欠付しに、もとより覚悟の事なれば、戸口戸口は内より〆切、外より人の入る事協はざるやうなしおけり、されど其苦痛の様子聞に堪かね、板戸お蹴破り内に入て見るに、善兵衛は半死半生にて、隻血お吐事流水の如くなりしかば、皆々介抱し妻お迎に行、立戻りて此体に驚き、さま〴〵介抱せしに、命数未尽ざるにや、又は悪血お悉く吐出せし故にや、是より癩病漸々快復し、日まし月ましに肥肉上り、眉毛も生じ、全く常体の人と成しかば、夫婦の喜び大方ならず、其後又車力渡世して、倶に稼出し渡世替して、紙商売お始め益繁栄せしに、後五六年すぎて、屡の火災に遇事お患て、近在へ転住し、閑居せしめるとかや、此話世上知る者多かるべし、予は善兵衛の旧宅の同町、新材木町尾張屋佐助といふ材木屋方へ、奉公に来れるもの、委敷知りて語るお、百の員に備んため、且貧民にかゝる貞実の有る事、感ずるに余りあれば、記しおきぬ、