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療治茶談


近来都鄙の世医、癇病の的証にくらく、ことさら疳肝の同音に迷い、病名お混じてたヾかん症とのみ雲ふて、 畢( つひに) 処剤の的中なきは、ひつきやう世民の大患也、疾医の多罪なれば、其病名お正し、其証候おつまびらかにして、治術の助にせばやと、まづ癇病の名義始て起る所お尋んと思ふに、古へより、からにも癇や癲や狂や痙や、其名症お混じきたり、且日本には疳肝の音義に惑い、一たび左すれば、大沢におちいるのおそれあれば、古人論ずるところと、今病とお論じて的証おいたし、治術の標本おたて、猶亦積山氏と南冥氏の治験余が経験の妙方お後に附く、
癇病総論
真の癲癇となりては、その証多端なり、あるいは顛倒して水火のわきまへなく、あるいはよだれお吐き、奇異なる声お発して泣くものあり、これ古人の所謂五畜癇のるいなり、そのほか人お見て発し、水お見て発し、火お見て発するあり、後藤家に説く通り、癲は顚倒の義なり、癇は簡なり、この症の起りくる間は気性常ならず、簡略疎暴にして人事お知らず、又癲狂と併ていふことあり、古人も癲狂は心の一臓に属すといへり、狂は乱気なり、癇より狂お発するもあり、いづれ一度に混じて病むものまヽあるなり、皆痰飲心竅に迷いて発すれば、人事お知らず乱心ににるべし、又癇症より来らずして、婦人淤血より起るもあり、其所因一ならず、後藤家にはとかく癲癇、狂みな気より起るといへども、恐くは癖見ならん、古人の論んつまびらかなれば、予は痰飲心竅に迷て発すとす、されば一気留滞より痰飲お生ずるといへど、小児の中九気の沙汰なきに発するは何ぞや、古人いふとうり、胎内繦褓のよるところうたごふべからず、扠てはその風癇、驚癇、癲癇は固より、肝経の熱肝積の拘攣、疳病の疳、その名症の区別なく、唯かん症と唱へて、医者の遁路お開くは、ひきやうなることなり、まして京江戸大坂の人は、田舎の人の腹気とちがい、平生からだお労せずして心気お労し、常に美食に厭飫し、痰飲胸中に積み、肺積の息墳、腎積の奔豚、〓癥の拘攣、おのおの発作にしたがつて、かの痰飲心竅おふさぎとして、四肢お瞬動し人事お知らずあるいは身こわばりそりうちかやし、痙病お作もの也、医の所謂癇症にはあらず、あるいは富貴えいようのむすこ童朋友お嫌い、人にあわず一間に籠り、あるいは衣食のすききらい、座席のきよらかなるお好み、手足おむしやうにあらいきよめ、或は刀剣おぬいてふりまわしして、発狂に似、あるいは手おもつて襟袖おなぜさすりし、あるいは面目お瞬動するお、世人総みなかん症といへども、此症後藤家に所謂 気病( ○○) 多くして、まことの癇症は少なし、さすればこそ富貴家の児童等、繦褓より深窻に撫育せられ、あらき風にもあらず、出入の人に至まで、その児の慢気おほめそやすにより、偏勝の気日々に増長し、年月お送るうち、九気の積聚無量の変証お発するお、世医皆かん証と雲へり、されば貧窮渡世に身おくるしむ人には余り見当らず、