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文昭院殿御実紀

宝永六年二月十六日、しかるにけふ山にて、織田監物秀親、前田采女利昌、公卿の館伴として朝とくまいりしが、采女利昌 狂気( ○○) し、差添おぬきて監物秀親が後に突てそのまヽはしり出、心地例ならずとて、下部および乗物にのりてかへりたり、秀親は突れて声たてヽうめきいたるお聞、人々はせ集りたれど、はや息も絶々なりければ、その家人に命じで護送せしめ、利昌がもとには大目付松平石見守乗邦、目付久留十左衛門正清、伊勢平八郎貞勅おつかはされ、利昌は石川主殿頭義孝に召預らる、