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松亭反故囊

狂お発す
人の暴に狂お発すること、婦人女子に多くして、丈夫盛徳の人にあることなし、如何にといふに、婦人女子はその心狭くして、聊のことに逼る、因て本心お失なふなり、任意山崩れ水湧くとも、気お丹田に修めてもて心お正うする時は、何お種としてか狂お発せん、みな其人の愚痴なるより、労すまじきことおも労し、心お以て心お責む、故に動もすればこのことあり、然れども疾によりて狂人に類することあり、先年一の士人あり、例事の憂へかありけん、日々鬱々として楽まず、ただ一室に閉籠りて、物案じの体なるゆえ、妻子もまたこれお憂へ、折にふれて諫めなどしつ、その保養お勧めけれど、敢てそれに従はず、閑室にのみありけるが、一時火桶に倚てあるに、その長八分ばかりの人忽然とあらはれて、火桶の端お奔走す、這は不測と見る所に、また忽然とその長は始めの人と同じきが、馬に騎て弓矢お携え馳出て、頓て弓に矢番ひ、先なる者お射んとなす、先なる雄士大に懼れ、後お顧みつゝ逃るといへど、猶火桶の円き端お旋転々々と逃るのみ、騎馬なるもの是お射んとの勢ひは示せども、敢て弓お放もせず、猶火桶の端お廻ること三四匝にして、いまだ果さず、士人大に怪みて、其処にある火筋お執り、かの騎馬の人の脳天お衝ば、応じて両個とも滅失ぬ、当時眼中の疼みお覚え、これお視るに、火筋もて騎馬の脳お衝しは、則わが眼お衝たるなり、猶その疼み甚しく、療すれど更に愈ず、竟に片眼盲にけり、これ何の所謂にか、その元お知ることなし、後に或人これお弁じて、これ妖に似て妖にあらず、狂病の発したる也、徜その傍に人ありとも、敢てこれお見ることなし、たゞ其人の目睛に看る故に、その脳お衝とおもひて、還て己が眼お衝く、こゝおもて思ふべし、それ狂病お発するもの、多くは其処にある人の顔、或ひは鬼或ひは夜叉、その余怖しき異形に見ゆる、こゝお以て大に怖れ、刃お揮つて害すに至るは、恐懼の甚しきに拠なり、後これお聞てわが身ながら疑ふばかり駭くめり、これは形あるおもてその人お害し、郷のごときは、その形なきおもて眼お害せり、〈○中略〉
按るに、人の精神よく丹田に修まるときは、怪しきお見ても懼れず、変に遇ても迷ふことなし、既に蘇老泉が詞にも、為将之道当先治心、泰山崩於前、而色不変、麋鹿興於左右、而目不瞬、然後可以制利害、可以待敵雲々と見えて、これ将帥に限るにあらず、されば一念不動とは、仏説にも見えたるなり、援にそのむかし、或人の許に、下女一人お抱へたるが、這は近き頃、在所お出て、更に世間のことおしらず、所謂野馬出しと唱ふる者なり、故にこの家に出入すなる若者等、うち集ひて、或は侮り、あるひは欺き、常にこれお消遣といへども、彼敢て心とせず、一時若者等いひ交し、彼お驚かしめて慰まんと、はや黄昏るゝときに及び、物求めに出るお幸ひ、路の傍樹立茂き所に隠れて、これお俟つ、下女は何心なく使にゆき、日も暮ぬと足お早めて、その所お通りかゝるに、予て期したる事なれば、往過るや否、 閄( わつ) といふて、吾だに駭く大声お出し威したれども、さらに動ぜず、優然として往ければ、威したる者興お失なひ、寥々後より帰り来て、その容お物がたり、余の人に問するに、彼下女答へていへるやう、己在所お出るとき、天満宮の影像お母の与へて侍らひき、且教へていふ、この尊影お旦暮に信ずる時は、いかなる悪魔も近付べからず、万一遁れがたき災の身に至らんとするときは、尊影これに換り給ふ、努怠らず信じてもて、無事お祈るべしとありければ、夫より以降、これお信じて昼夜肌お放すことなし、然ればいかならん事のありとも、聊懼るゝ心なしと、その人に語りしといふ、これ苟のやうなれど、援に深き味ひあり、言辞お以て宣べ難し、凡そ仏道修行の人、鬼魅魍魎の属ひ、及び天変地妖も強に恐るゝことの寡きは、心に修する所あればなり、彼伊川先生が、風浪に遇て泰然とさらに懼るゝの色なきごときは、また甚高いかな、