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奥州波奈志
影の病( ○○○)
北勇治と雲し人、外よりかへりて、我いまのとおひらきてみれば、机におしかゝりて入有、誰ならん、わがるすにしもかくたてこめて、なれがほにふるまふはあやしきことゝ、しばし見いたるに、髪の結やう衣類帯にいたるまで、我常に著し物にて、わがうしろかげおみしことはなけれど、寸分たがはじと思はれたり、余りふしぎに思はるゝ故、おもておみばやと、つか〳〵とあゆみよりしに、あなたおむきたるまゝにて、せうじの細く明たる所よりえん先にはしり出しが、おひかけてせうじおひらきみしに、いづちか行けん、かたちみえず成たり、家内にそのよしおかたりしかば、母は物おもいはず、ひそめるていなりしが、それより勇治病気つきて、其としの内に死たり、是迄三代其身のすがたおみてより病つきて死たり、これや、いはゆる影の病なるべし、祖父、父の此病にて死せしこと、母や家来はしるといへども、余り忌みじきこと故、主にはかたらで有りし故、しらざりし也、勇治妻も又二歳の男子おいだきて、後家と成たり、隻野家遠き親類の娘なりし、