[p.1484][p.1485]
北辺随筆

孟中蛇
晋書雲、楽広字彦輔、常有親客、久闊不復来、広問其故、答雲、前在坐蒙賜酒、方飲忽見盃中有蛇、意甚悪之、既飲而疾、于時河南聴事壁上有角弓、漆画作蛇、広意盃中蛇即角弓影也、復置酒於前処、謂客曰、盃中復有所見不、答曰、所見如初、広乃告其所以、客豁然意解、沈痾頓愈、とあるに、いとよく似たる事あり、有馬良久といひしは、近世の名医なり、あるやごとなき所に、物に汲おきたりし水お、夜陰にのませたまひしが、そのあした、かの水お御覧じけるに、あかく小さき虫、おほくわきてありしかば、たちまち御はらいたみて、たへがたうし給ひしに、良久丸剤おたてまつり、箱してその虫のくだらんお試みさせ給へと申されしに、げに其言のごとく、赤くちひさき虫、いと多く出たりしお、御覧ぜさせたりければ、御はらすなはち愈ぬとぞ、そのたてまつられし丸剤、まことは赤き糸おきざみて、薬にまじへてたてまつられけるとなん、かの盃中の蛇とは事たがひたれど、そのやまひのおこれるも愈たるも、かよひてぞおぼゆる、