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今昔物語
十二
神名叡実持経者語第卅五
然れば此の持経者の貴き思え世に其の聞え高く成ぬ、而る間円融院の天皇、堀川の院にして重き御悩有り、様々の御祈共多かり、 御邪気( ○○○) なれば世に験有りと聞ゆる僧共おば、員お尽して召し集て御加持有り、然れども露の験し不御さず、或る上達部の奏し給はく、神明と雲ふ山寺に叡実と雲ふ僧住みて、年来法花経お誦して他念無し、彼れお召て御祈有らむに何にと、亦或る上達部の宣はく、彼れ道心深き者にて心に任せて 翔( ふるま) はヾ、見苦き事や有らむずらんと、亦他の人の雲く、験だに有らば何なりとも有なむと被定て、蔵人☐ ☐お以て召しに遣す、蔵人宣旨お奉て神明に行て、持経者に会て宣旨の趣お仰す、持経者の雲く、異様の身に候へば参らむに憚り有りと雲へども、王地に居たり作ら何でか宣旨お背く事有らむ、然れば可参き也と雲て出立てば、蔵人定て一切は辞ばむずらむと思つるに、かく出立てば心の内に喜び思て同車に参る、蔵人は後の方に乗れり、而るに東の大宮お下りに遣せて行くに、土御門の馬出に薦一枚お引廻して病人臥せり、見れば女也、髪は乱れて異体の物お腰に引懸て有り、世の中心地お病むと見たり、持経者此れお見て蔵人に雲く、内裏には隻今叡実不参ずと雲とも、止事無き僧達多候ひ給へば何事か候はむ、此の病人は助くる人も無かめり、構て此れに物令食て夕方参らむ、且つ参て今参る由お奏し給へと、蔵人の雲く、此れ極て不便の事也、宣旨に随て参給ふらむには、此許の病者お見て逗留し不可給ずと、持経者我君々々と雲て、車の前の方より踊り下ぬ、物に狂ふ僧かなと思へども可捕き事に非ねば、車お掻下して土御門の内に入て、此の持経者の為る様お見立れば、持経者然許穢気なる所に臥したる怖し気なる病人に、糸睦ましげに寄て胸お捜り頭お抑へて病お問ふ、病人の雲く、日来世の中心地お病むおかく出して棄置たる也と、聖人事しも我が父母などの病まむお歎かむが如く歎き悲て雲く、物は不被食か、何か欲しきと、病人の雲く、飯お魚お以て食て湯なむ欲しき、然れども令食る人の無き也と、聖人此れお聞て忽に下に著たる帷お脱て、童子に与へて町に魚お買に遣つ、亦知たる人の許に、飯一盛湯一提お乞に遣りつ、暫許有て外居に飯一盛指入の坏具して、提に湯など入れて持来ぬ、亦魚買に遣つる童も干たる鯛お買て持来ぬ、其れお自ら少さく繕て、飯お箸お以て含めつヽ、湯お以て令漉れば、欲しと思ければ病人にも不似ず糸吉く食つ、残れるおば折櫃に入れて、坏の有るに湯は入れて枕上に取り置て、提は返し遣りつ、其後に薬王品一品お誦して令聞めける、然て後に蔵人の許に来て、今は然は参り給へ参らむと雲て、車に乗て内裏に参たれば御前に召しつ、経お誦し給へと抑せ有れば、一の巻より始て法花経お誦す、其時に御邪気顕て御心地宜く成せ給ひぬ、然れば即ち僧綱に可被成き定め有りと雲へども、持経者固く辞して逃る如くして罷出にけり、