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東遊記

不食病
三河国巨海郡天祥山長寿寺といふは、其昔は巍々然たる大伽藍なり、〈○中略〉此庵に住する尼、二十年来断食の行おなして、奇妙の人なりと、其あたり評判して、参詣信仰の人群集す、余〈○橘南谿〉友塘雨、其辺漫遊の折なりしかば、わざ〳〵と其地に至り、参詣して其容体お見る、顔色は少し青ざめたれど、総身の肉は中人よりは少し肥たるかたにて、言語は少しどもるやうなり、塘雨怪しみ、其あたりに旅宿して、其やうすお聞くに、二十年来の断食虚事にはあらず、此尼十四五歳の頃より小食なりしが、十六七計にて同村に嫁しけれども、病身なりとて不縁し帰りて、其後は尼になりて、此庵に住り、段々少食に成り、後には一月に二三度ほど少し食すればよしといひ、其後は段々に不食して、数月の間に少し食することになりて、近き頃は、絶えて食せざるやうに成れり、唯折々少しづゝ湯お呑計なり、かくの如く断食なれども、身体格別につかるゝ事もなく、近き年も、信州善光寺に参詣せし、数十日の旅行に、一飯も食せずして、歩行も相応にして、無難に帰庵せり、其心より強てつとめて断食の行おするにもあらざれども、自然にかくの如くなれば、人皆不思議に思ひて信仰し、参詣することなり、怪敷事お行て、人民お迷す人なりやとて、官よりも疑ひかゝりて、吟味の事もありしかど、唯病気ゆえのことなれば、余義なしとて、そのまゝにあるなり、塘雨あやしみて余に語れり、この病、昔の医書には見えざる事なれども、近き年は世間に多き病なり、香川子〈○太仲〉も此病お論じて、 彼家にては新に不食病と名付( ○○○○○○○○○○○○○) たり、余も数人お療せしかど、しかと手際よく愈たることなし、婦人に多くあり、男子にも一両人お見たり、婦人は人に嫁して出産にてもする事あれば、其一両年は常の如く食して、数年の後はまた不食す、男子にても婦人にても、此病の中に何ぞ外の疫の傷寒、時疫、痢疾等の如き、死生にもかゝる程の大病お煩らひて、其癒かゝりの時には、必よく食するものなり、病後一年も過て、気力常の如くに復すれば、又漸々に不食になるものなり、此病はじめは米穀お忌嫌ひ、かき餅、或は豆腐、或は蕎麦等の如きものばかりお少しづゝ食し、或は酒などばかりお呑居て、漸々に何も食せざるやうに成るものなり、怪しむに足らず、又一生涯食はよくしながら、糞せざる人もあり、其外奇病怪症、天下の内には種々の事ありて、余も見及び聞及べり、