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梅園日記

酔船
苦車苦船の字、西渓叢語に出たり、〈太平御覧九百十八、王隠晋書曰、郗詵母病苦車、及亡、不欲車葬、貧無以得馬とあれば、苦車は久しき語なり、〉此外、肘後方、病源候論に、注車注船といひ、表異録に、蛀船蛀轎あり、〈蛀轎は、こしにえふなり、直話補証に注轎、甕牖間評に注轎子あり、〉広東新語、南越筆記に、船暈、また朱子偶記に、暈船とあり、通俗編に、苦船雲々、集韻亦作苦、按、即今所謂暈船と見えたり、また唐土にても酔船といへり、恵済方に注船、即俗名酔船、また詞雅に、範纉が減字木蘭花の題注に、北人不善乗舟謂之苦船、南人謂之酔船、又謂注船とあり、〈注船大吐、渇飲水者即死と丹渓心法類集、恵済方等に雲り、知おくべきことなり、〉