[p.0033]
続日本後紀
十四/仁明
承和十一年閏七月辛酉、左大臣従二位兼行左近衛大将皇太子傅源朝臣常上表曰雲々、優詔不許、 癸酉、左大臣源朝臣常重上表曰雲々、勅書於左大臣曰、所表具之、〈○中略〉卿深鑒損挹、固守冲虚、減封之請、前後累通、朕与卿昆季、義兼家国、偏行則公議不聴、両遂則私情難忍、雖賞軽徳重、自先害盈之嫌、而派分枝連、欲益福謙之利、故屈之于此、申之于彼、以元来望、宜知此意、
○按ずるに、史文闕逸して其事お詳にすること能はず、恐らくは亦減半お請ひしならん、