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国封とは、其国に封じて其国公とすることにて、古来数人に過ぎず、悉く藤原氏に出で、且つ皆歿後の追封に係れり、初め不比等の淡海公に封ぜらるヽや、子孫の其封お辞する時に、一言の之に及ぶ者なきお観れば、唯其号お加へたるのみにて、旧封の外に別に増せる所なきが如し、良房の美濃公に封ぜられたるは、永々絶ゆることなからんと雲へる詔お受けたれども、幾もあらずして奉還せり、忠平の信濃公に封ぜらるヽや、僅に六十五日にして奉還せり、其余は皆考ふべからずと雖も、美濃公、信濃公の例に拠りて之お推せば、受けて即ち奉還するお以て例とし、唯其爵号お以て栄とせしならん、良房より以来、身太政大臣の官に居りし者は、在任と去職とお問はず、其薨ずるに及びてや、褒するに諡お以てし、封ずるに国お以てするお例とせり、而して剃髪する者は与らず、後一条天皇の長元年中、藤原公季お追封して甲斐公とせしより以後、此典永く絶えたり、夫の淳仁天皇お癈して淡路公と為し、奉ずるに其国の調庸お以てせしが若きは、亦国封の類たり、