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大鏡
七/太政大臣道長
かくて鎌足のおとヾは、天智天皇の御時、藤原の姓賜りて、そのとしぞうせさせ給へりける、内大臣の位にて、廿三年ぞおはしましける、太政大臣にきはめ給はねど、藤氏の御いではじめのやんごとなきによりて、うせ給へる後の御いみな淡海公と申けり、此しげきがいふやう、大織冠おばいかでか淡海公とは申させ給ふぞ、大織冠は大臣の位にて廿五年、御年五十六にてなんかくれおはしましける、ぬしののたまふことヾも、あまの川おかきながすやうに侍れど、おり〳〵かヽるひが事ぞまじりたる、されどもたれか又かうはかたらんな、仏在世の浄名居士とおぼえ侍るものかなといへば、世継がいはく、昔から国に、孔子と申ものしり、のたまひけるやう侍り、智者も千のおもんばかりには、かならず一のあやまちありとなんあれば、世継とし百歳におほくあまり、二百歳おかぞへぬほどにて、かくまでとはずがたりお申せば、昔の人々もおとらざりけるにやあらむとなんおぼゆるといへば、しげきしか〴〵まことに申べきかたなくこそ覚え侍れとて、かつは涙おおしのごひなんど感ずる、まことにいひてもあまりにぞおぼゆるや、