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源平盛衰記
十一
静憲与入道問答事
入道〈○平清盛〉大に嗔れる体にて援にて対面せられたり、宣けるは、〈○中略〉小松内府は其器こそ愚に候しかども、勅定には忠お抽て志お運(はこび)き、されば保元平治の合戦にも命おば為君軽し、尸おば戦場に捨んとこそ挙働侍しか、及天聴、人口にもほめられき、其後大小度々の騒動も、毎度に選れ進せて、院宣と申、勅命と申、傍御感に不預と雲事なし、されば越前国お重盛が給し時は、子々孫々までと被仰下しが、それに重盛逝去〈○治承三年七月廿九日薨〉の後、即被召上之条、死骸何の過怠か候、