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位禄は位階に従ひて給する所の禄物お謂ふ、蓋し絁、綿、布、鍬等の禄物お以て食封に代ふるなり、文武天皇大宝の制、三位以上に位封お給ひ、四位五位に位禄お給ひ、婦人は妃夫人嬪お除くの外、男子の半お給ふことヽせしが、慶雲三年には、男子は四位にも位封お給ひ、位禄は五位のみに止む、又聖武天皇の神亀五年には、外五位は内位の半お給することヽなりしが、平城天皇の大同三年に少しく其数お増せり、是より先き内位の位禄にも更革ありしが、此に至りて大宝の制に循へり、借五位の郡司の位禄は、淳和天皇の天長二年に、外従五位と同じからしむ、凡て位禄お給ふには、京庫〈大蔵省〉に給ふと、諸国に給ふとの別あり、諸国に給ふには、国の遠近によりて運賃お給ふと給はざるとあり、而して外官の位禄、並に外官お兼ねたる者の位禄は、諸国に於て其土の估価に準じ、正税お以て給ふ例なり、京庫に給ふには、毎年十月に、中務、式部、兵部の三省に於て、位禄お給ふべき人物の数お録し、十一月十日、太政官に申し十五日に之お奏し、二十日、官符お大蔵省に下し、二十二日、位禄お給はるべき人、自ら大蔵省に詣りて之お受けしむ、而して四位の参議、及び年七十以上の散位は、此限に在らず、又荷前の使お闕きたる非侍従等は位禄お受くることお得ざらしむ、又江家次第に依るに、毎年二月中旬に位禄定の事あり、公卿陣座に集りて、位禄お給ふべきと、給ふべからざるとお議す、是恐らくは延喜以後に至りて興る所ならん、
中世以後、位禄は毎年に給はることお得ずして、前年未給の分お得んと請ふ者ありて其請お允さるヽときは、多くは一年の分お給することにて、二年の分お給するは特恩に出づるなり、又位禄は別納租穀お以て充つべきお、不動穀お以て賜ふこともあり、