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季禄とは、文武の京官、大宰、壱岐、対馬の官人等に、長上の人に限り、親王、王、臣お択ばず、官職の高卑に従ひて給ふ所の四季の禄なり、考期は八月一日に始りて、翌年七月三十日に訖れば、之お二分し、二月より七月までお春夏の分とし、八月より正月までお秋冬の分とし、春夏二季の分お給するには、前の秋冬の上日お計へ、秋冬二季の分お給するには、前の春夏の上日お計ふることにて、其上日並に百二十に満たざれば給せず、而れども季禄は将来の禄お給ふことなれば、仮ひ百二十日の上日お闕かずとも、給禄の日の前に解官するときは給せず、さて官職の高卑は、其相当の位階に依りて差と為す、故に位階の高卑には拘らざるなり、女官の如き相当の位階なきは、其官お某位に準じて給するなり、又一人にして数官お帯びたる者は、総て一の高官に依りて給して累給せず、而して諸王の季禄は時服と累給す、又無禄より初て有禄に入る者は、上日其数に満たずとも給せしお、平城天皇の大同三年に、上日お計へて給ふことヽ為れり、内舎人、及び別勅長上、才伎長上は、位階に従ひて、其司の判官主典に準ぜしが、孝謙天皇の天平宝字九年に、労効お量りて給することヽ為れり、凡て季禄は絁綿等お給するお、元明天皇の和銅四年に、銭お以て施糸に混じて給したる事あり、此時和同開珎の銭お鋳たれども、人の通用することお喜ばざりしかば、其便なることお知らしめんとて、一時の権制に出たるなり、又神祇官の官人等、及び大神宮の神官等は、神戸の封物お以て給し、斎宮寮の女孺等の季禄は、伊勢国の正税お以て給す、又季禄は在京の官人には、大蔵省にて給し、大宰壱岐対馬は大宰府にて給し、内官にして外官お兼ぬる者の季禄は兼国にて給す、大蔵省にて禄お給するに就きては、二月八月に、中務、式部、兵部より太政官に申し奏聞お経るなり、其日賜お受る者、男子は舞踏し、女子は扱地拝す、而して男女日お異にす、若し自ら其場に詣らざれば罪あり、其女官の禄お賜ふ日に、号禄おも給ふことにて、号禄とは妃、夫人、嬪に賜ふ所なり、是は相当の位階なく、其職号に依りて賜ふが故に、号禄と雲ふ、而して妃、夫人、嬪にして官お帯せる者には、更に季禄お給するなり、又女官の季禄にも沿革ありて、元明天皇の和銅七年に、給禄に預るべき五位の散事お、職事〈内侍司等の諸司の掌以上お職事とし、其余お総て散事とす、〉の正六位に準じ、聖武天皇の神亀三年に、五位の内命婦〈五位以上の位に居る者お内命婦と雲ふ〉にして、六位以下の官に任ずるときは、正六位の官の禄お給し、光仁天皇の宝亀四年に、職事の宮人の為めに、高官卑位は官に依り、高位卑官は位に依るの法お立てたり、季禄は原と長上官に賜ふ所なれど、番上に給するも亦季禄の類なり、兵衛の如きは番上なれど、六月間に日直夜宿各、八十にして給禄に預る、又季禄に預るべき人犯罪あるときは、其軽重に従て一年半年の禄お奪ふ、而して之お輸納するに各、日限あり、若し限内に赦降に遇ひ、及び別勅お以て復任するときは徴せず、又元正、大射、端午の日に参せざる六位以下の人も、亦其禄お奪はるヽなり、降りて醍醐天皇の延喜年間に及びては、官庫空罄せるに由りて、公卿及び出納の諸司には、毎年充給すれども、其余は五六年お経て一季の料おも給せざるに至る、等第禄は、上日お計へ、上中下の等第お立てヽ禄お給ふお雲ふ、