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要劇料は、元正天皇の養老三年に、劇官お簡びて銭お賜ひしに起りて、内官に給する所なり、而して平城天皇の大同三年に、寮司お併省し、閑劇の異なきお以て、普く諸司に給し、四年に米価の往年より貴きお以て、銭お給することお停め、観察使坊令お除くの外、四位以下初位以上の職事に、人別に日に米に升お給せり、蓋し二升の米は、当時日食お給するの定例なり、而して四位より初位までの長上に給せしは、養老の時より既に然りしならん、然るに嵯峨天皇の弘仁三年に、更に旧に依りて銭お給せり、
要劇田とは、内官諸司に充つる所の田にして、其所穫お以て官人の要劇料に充つるなり、即ち陽成天皇の元慶五年に、畿内の官田一千二百三十余町お割きて、五十司に充てたるに始まる是より先き要劇料は銭米お雑へて給せしが、米お得る者は、法の如く一月に六斗〈日別二升〉お得べく、銭お受くる者は、百文に過ぎず、且つ国用乏しきお告げて、賜ふことお得ざること多きお以て、或は諸国の正税お以て給するに至れり、因て此法お設け、均しく田お以て諸司に給せり、而して六年に至り、太政官等の七司に限り、大蔵の廩米お以て給し、其余は仍ほ官田お以て給せり、但し皇子及び公卿にして、入省の卿、衛府の長官に居る者には給せず、是より後之お充つる寮司の増加するに従ひ、田数も亦増加せり、此要劇田は、官田お割きたる者なれば、不輸租田たること明なり、而して諸司田に属す、
凡て此要劇料は、当司各、前月の上日お注し、太政官に申し、太政官より符お宮内省に下して給し、若し雑怠あらば弁明お待ちて給す、又要劇田の分は、官符お勘解由使に下し、年終帳に勘会せしめ、見上不上お審にして後に給す、百度食は官物お出納する諸司等に、毎日大炊寮の米、大膳職の魚塩お給するお雲ふ、其他は事ある日に臨みて賜ふ事あり、而して百度の義、古来明ならず、今延喜の主計式に、所司総計百度之料、一度請受供給と雲へる文に依りて意ふに、一年に百度給すべき分お、或は月に配して受け、或は其日一度の分お賜ふならん、要するに要劇料お以て普く諸司に配するに至り、更に要劇の官、要劇の日お簡びて百度食お給せしなり、