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年官、年爵の事、其始お詳にせず、然れども貞観七年の藤原良房等が奏議等に依るに、清和天皇の前に在ること必せり、年官とは、毎年に内外の一分、二分等の官お賜はるお雲ひ、年爵とは毎年に従五位下一人お賜はるお雲ふ、一分、二分等の名は、公廨の分法より出でヽ、公廨お処分するには、史生は其一分お受け、目は二分お受け、掾は三分お受く、因て史生お一分と雲ひ、目お二分と雲ひ、掾お三分と雲ふ、京官も此に準じて名お立てたり、蓋し年官、年爵は、陽には親近の人に授くる為めにして、陰には人に売与して財お得るが為の人に授くる為めなる事は、貞観十三年、藤原良房の准三宮お辞する表に、臣一両僕隷、得官者或年三四人、何擬三宮以新制と雲へるに依りて知られ、陰に売与して財お得る為めなる事は、政事要略に、安和二年の宣旨お載せて、雖募二分之年給、曾無一人之企望と雲ひ、長保二年の権記に、受領吏買上階と雲へるお以て知らるヽなり、若し之お望む人なき時は、仮りに無身の人お設けて其官爵お受く、又其官爵お人に授けて、其所得お己に入るヽ者あり、是謂ゆる揚名介、揚名掾なり、
年官、年欝は、除目叙位の時に、其主より申文お官に進めて、其人お任叙する事にて、大別、内給、院宮給、親王給、公卿給の四種あり、内給とは内裏より給与の費に供する為めに設くる所にして、院宮給とは太上天皇、三宮、女院、東宮.准三宮の分お雲ひ、親王給は親王、内親王、法親王の分お雲ひ、公卿給とは摂関大臣、納言、参議の賜はるものお雲ふ、此年官には当年給、未給、名替国替名国替、秩満更任、任符返上等の目ありて、当年給とは当年の巡給お雲ひ、未給とは昨年已往の未給お雲ひて、或は歿後に係れる者あり、名替とは其身疾に罹る等の事ありて、任符お給はらざる人の代に、余人お任ずるお雲ひ、国替とは甲国の司お改めて乙国の司とするお雲ひ、名国替とは見任の人の任お停め余人お他国に任ずるお雲ひ、秩満更任とは任限已に満ちて解官せる人の代に、其前任の人お任ずるお雲ひ、任符返上とは甲の人の任符お返進して、乙の人お任ずるお雲ふ、親王給には又例巡給、別巡給.別給の別あり、例巡給とは世系の次序お逐ひて逓に年官二合お給はることにて、例へば第一年は白河天皇の親王の巡給第二年は堀河天皇の親王の巡給なるが如し、然れども此巡給の事は、古来異説ありて、其実は詳ならず、別巡給とは、今上嫡后所生の親王は男女、お論ぜず、別巡給に預るべきの別勅あるときは、余の親王の巡に拘はらず、特別に巡給に預るなり、若し其親王一人なれば、毎年二合に預り、二人なれば隔年に二合に預るなり、別給とは嫡后所生にあらざる親王の別巡給に預るお雲ふ、而して二合と雲ふことは、公卿給にもありて、親王給は目〈二分〉一人、史生、〈一分〉一人なるお、併合して掾〈三分〉一人とするが如し、公卿給の中にて、大臣は隔年に二合、納言は四年に一度二合、五節お献ぜし明年は巡お待たずして二合、参議は五節お献ぜし明年のみ二合なり、又合欝と雲ふ事あり、合冠とも雲ふ、丙官一人、外官三分一人、二分二人等の未給お返上して、従五位下一人お賜はるお雲ふ、而して年爵には未給と雲ふ事なし、是官職は其闕なき時は任ずることお得ず、故に当年に給せざる事もあれど、位階は額数なければ、毎年に給することお得べければなり、年爵には又加階あり、従五位下以上の人の更に位階お進むるお雲ふ、後には人給(ひとだまひ)〈院宮の給はりたる年官年爵お雲ふ〉お以て二位三位に昇る者あり、又臨時給と雲ふは、任官にも叙位にもありて、年官年爵の外に臨時に賜はるお雲ふ、又式部卿に一分召の時に、一分一人お賜ふ、是亦年官の類なり、政治部除目篇参照すべし、要するに、古は官に季禄、公廨等の俸あるのみならず、位にも位田、位禄等の給あり、是れ年官年爵の起る所以なり、然るに後世に至りては位に俸なきのみならず、官にも亦賜ふ所なし、是に於て年官、年爵、並に徒設の具と為れり、
又国守お賜ふ事あり、亦年官の類なり、事は賜国篇に詳なれば、宜しく就て見るべし、