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准三宮は准三后とも、准后とも雲ひて、太皇太后、皇太后皇后の三宮に準擬して、年官、年爵お賜ふお雲ふ、清和天皇が文徳天皇の遺詔に遵ひ、外祖父太政大臣藤原良房の勲績お褒するに興る、然れども是時の勅旨上表には並に年官の事のみありて年爵の字なし、恐らくは年官お挙げて年爵お包子たるならん、而して三后の年官、年爵の事は、是より前にありしならそ、然れども史に所見なし、江家次第職原抄、及び長承二年の中右記、久安五年の兵範記等の諸書に拠りて考ふるに、叙位に従五位下一人お賜ひ、除目に内外官の内、三分一人お賜ふ者の如し、三分とは公廨の分法より出でヽ、諸国の掾お雲へるなれども、内官おも之に準じて賜ふなり、是より後帝母、准母後宮親王、内親王、法親王、摂政、関白、太政大臣等に賜ひし事、其例頗る多し、而して其後宮に賜ふは、後には之お皇后に立て、若しくは院号お上らんが為の準備の如くなれり、後一条天皇の寛仁年間に、前太政大臣藤原道長に、入道の後に賜ひしが如゜きは、殊に変例たれども、後には常々これあり、後世に至り藤原道家の子僧法助お准三宮とせしは猶も特例とす、而しぶ本封の外に若干戸お加ふるは、准三宮の事に干るにあらざれども、准三宮たる人は必ず賜ふことヽ為れり、夫れ准三宮は官職にあらざるなり、位階にあらざるなり、特に年官年爵お賜ふべき為めなるお、此お以て位〈位とは官職位階お統称するなり〉と称せしことあり、猶ほ年官年爵篇お参看すべし、