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知行は家禄にして、采地お領するお謂ふ、徳川幕府の制、万石以上は大名と称し、采地お領地と雲ふ、万石以下は土地お領有し、貢賦お徴収する事、大名に異ならざれども、其采地お知行と雲ふ、其一石の地の貢賦は、一俵如即ちご一斗五升にして、是お三つ五一分の物成(ものなり)と雲ひて、物成の通則とす、物成とは貢賦お雲ふなり、高百石と称する者は、其貢賦百俵、郎ち三十五石なり、然れども其中には四つ物成なるもあり、三つ物成なるもありて、各村必しも一定せざりしなり、其知行お給するに、物成の高き地と、低き地とお通計して、三つ五分の通則に合するあり、之お物成詰(ものなりづめ)と雲ふ、又知行高に不足ある時、之お補ふに他村の地若干お以てし、其物成のみお収むるあり、之お越石(こしこく)と雲ひ、物成の高き地より低き地に転ずる時に、其不足お補給するお込高(こみだか)と雲ひ、物成の低き地より高き地に転ずる時に、其剰余せし者お延高(のべだか)と雲ふ、而して物成の事は、政治部下編の田租篇に詳なり、宜しく参看すべし、