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徳川幕府の時、知行、切米、役俸等の外に於て、支給する所の種類も亦頗る多し、今総称して雑俸とす、
合力米は、二条、大坂の在番、及び二条、大坂、駿府の諸奉行等に給するなり、合力金は大奥に仕ふる女中の給料に謂ふ所、又手当(てあて)あり、文政五年、松平斉厚に毎年五千俵お給し、後天保五年、一万七千俵とす、嘉永六年、徳川斉昭に、毎年五千俵お給する類是なり、手当扶持は、儒者、小普請組支配組頭等に給し、手当金は、松前奉行、川船改役、小人目付等に給し、作事、普請、小普請の三奉行、賄頭、膳所台所頭、表台所頭等の下吏にも給す、
役入用金は、勘定奉行に給し、諸入用金は郡代及び代官に給す、又手当受用金あり、長崎奉行に給す、雑用金は、松前奉行の下吏、鷹部屋門番、油方同心、小人目付等に支給す、四季施(しきせ)は、正月、四月、五月、九月、十二月に同朋頭、及び数寄屋坊主等に時服お賜ふお雲ふ、又四季施代金あり、奥右筆同朋等に給す、又野扶持懸(かヽり)扶持、配当米、勤(つとめ)金銀、勤料、給金等あり、小吏及び見習の輩に給するものなり、
作事料は官宅、賜第造営費なり、其邸地お官に収むる時は、移転費お給し、之お引(ひき)料と雲ふ、又遠国の諸奉行の新補せられしものには引越料お支給す、又将軍の上洛、及び日光社参に扈従し、或は遠国に出役する時は、旅費及び雑費お給すること各、差あり、
救金は、病中忌中若しくは見習として勤役する時に給するものにして、扶助米は家名断絶者の遺族に給する月俸なり、
無足は部屋住にして、単に米俸又は金俸のみお給するものお謂ふなり、