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難波江
二下
食食、くひものと物おくふとは、入声にてしよくとよみ、人に物おくはすと飯とは去声にて、しとよむなりと区別することは、後世のことなり、説文はさらなり、玉篇もこの分別なし、陸徳明の釈文に、始て酒食の食に音〓とあり、〈論語為政篇、有酒食先生饌、釈文、礼記曲礼上、食居人之左釈文、〉されど音お出さヾる処もあれば〈小雅斯干唯酒食是議、釈文、礼記、曲礼上、為酒食以召郷党僚友、釈文、〉其頃は、いづれによみてもよろしきことヽおもはる、人に物おくはするには、別に字お造り、飼とかきて、食字おくはすることに用ふるときは、飼字に通はしたるものなり、飼は説文〈巻五下食部〉糧也従人食とありて、玉篇に女資切食也とみえ、広韻去声、志韻にも、食也とありて、玉篇広韻ともに、次下に飼字同上とあり、これ人に物おくはする方に用ふる字なり、この飼の字は、後世の字にて、説文時代のものにあらず、後人の妄に説文に増入したるよし、段玉裁詳に考へて、飼の字の注にいへり、〈飼或作飼、経典無飼又糧也とあるもよろしからぬよし、其注にみえたり、〉飯のとき入声に読ざるも、後世に出るの証は、小雅信南山の篇に、疆場翼々、黍稷稷々、曾孫之嗇、以為酒食、卑我尸賓寿考万年、とある翼或嗇食と韻協にて、しるべきなり、