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一話一言
三十九
畝問池答〈南畝問、輪池答、〉問、古は日に三度づゝ食事いたし候哉、軍中には夜食なしと承候いかゞ、荘子に莽蒼にゆく者は三〓して足るといへば、かの方にても、一日に三度に候哉、此方の古書にて御考等無之候哉、答、西土の故実はいまだ考ず、皇朝にては治乱の差別なく、さだまれる食事は、上一人より下万民まで一日に二度なり、その証は天子大床子御膳〈内膳司の供する所〉二度也、〈○註略〉此外に朝餉の御膳〈女房の御供仕〉三度めし上らることあり、これは内々の事ゆへなるべし、〈○註略〉武家の式もさぞ有けん、御当家にても朝夕は御汁添御菜数もあり、御三度めは御汁も添ず、御菜数も少なし、又永夜には御四度めもあれども、猶更事そぎたるさまなり、享保の御時は、昔のためしお思召けるにや、御三度めは召上られざりし也、今も田舎にて節供には二度〈朝五時夕七時〉食する所あり、〈児玉郡の風俗、常は三度なり、其上に長日に小昼飯お用、永夜には夜長といひて食することあり、これ朝夕二度の外はみな臨時に設くる意なるべし、〉武家にて二合半二度お一人扶持といふも、古きさだめなるべし、