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梧窻漫筆拾遺
さて今は天下しろし召す将軍家にても、又は大国の諸侯にても、正月元日より三日までは、嘉儀さへ朝昼は御料理お召し上らるれども、晩食(○○)は御長豆腐と唱へて、八杯豆腐のみお召し上がらるゝことなり、まして平日は猶更のことなり、貴人高位の礼法は、晩食は一統に粗薄なるものなり、士庶人の家にても、古礼法お失はざる家は、晩食茶付香物と雲ふこと、一統の常例なり、〈○中略〉予は此礼の起りお知りたり、是れは仏家の戒法に、非時の食お禁じて、昼の午時より後は一粒おも食せざること、沙弥の十戒よりして然り、中古王室の盛なる時、天子も摂関も皆仏法に帰依して、仏戒お受け給へり、俗人は戒律僧の如きことは得て成がたき故、晩食お少き様に、精進斎素の如くにしたるものなり、晩食お斎素にする、皆婬欲お禁じ、婬欲お薄くするの方法、晩食に膏梁滋味、或は醇酒厚味お飽満せるときは、気力盛にして婬欲勃動す、釈氏の法は、身体お尫羸ならしめ、婬欲の薄からんことお願欲す、晩食お禁じ晩食お薄くする、皆其方法ならずや、されば今の礼法の八杯豆腐香物茶づけ、実は可笑の甚き事にて、妻妾お具有するものは、夜食には肥肉醇酒お飲食して、気力お張旺ならしむべきこと摂養の術なり、