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柳亭記
昼飯の事朝飯(げ)夕飯が三度となりしは、田舎より起りし事なるべし、農民はことに骨おればなり、今は小中飯(こぢうはん)ととなへ、日の長き頃は四度喰田舎あり、中飯又昼飯といふも、則田舎詞なり、今も心あるものは昼に喰お夕飯ととなへ、夕に喰お夜食といひ、昼飯といふことおいはず、〈○中略〉柳翁曰、間食は則中飯、延喜式に見えたるは給ふなり、霊異記なるは私に喰ふなり、酒お醸し稲お舂くともに骨折者なり、宇治拾遺物語、是も今は昔南京の永超僧都は、魚なき限りは、時非時もすべてくはざりける人なり、公請つとめて在京の間久しく成て、魚くはでくづおれてくだるなしまの丈六堂の辺にて、ひるわりご(○○○○○)くふに、弟子一人近辺の在家にて、魚おこひてすゝめたり雲々、非時お昼破子といふ、今日昼弁当なり、