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嬉遊笑覧
十上飲食
しゝとはもつはら猪鹿おいふ、天武帝四年、莫食牛馬犬猿雞之宍、以外不在禁例雲雲、上つ代は天子も聞しめしぬれど、中古より穢に准へたり、続古事談〈四〉兵庫頭知定といふ陪従が、娘に八幡の神つきて詫宣ある処、蒜鹿さらにくふべからずと有も、この知定なども日頃鹿おくひけるお誡むとなり、江談〈二〉喫鹿宍当日不可参内之由、見年中行事障子、而元三之間、供御薬御歯固、鹿或猪盛之也、近代以雉盛之也、〈類聚雑要、供御御歯固鹿宍代用水鳥、猪宍代用雉とあり、〉又上古明王常膳に用給、又大饗にも用、その止たる制は、何の時よりと慥には知らぬ由みゆ、神供には春日の若宮へは狐狸お奉り、諏訪の明神へは鹿お供ふる、古よりのこととぞ、上さまには物し給はぬ事となりても、其余は女さへくひたりとみえて、今昔物語に、住丹波国者の妻読和歌語に、後の山の方に鹿の鳴ければ、男今の妻の家に居たりける時にて、妻に此は何とか聞給ふると雲ければ、今の妻煎物にても甘し、焼物にても美き奴ぞかし、又調味故実に、懐姙の間いませ給べき物しか〳〵有て、うさぎ〈是も懐姙ありてより、誕生の百廿日の御祝過るまで忌べし、〉鹿もろ〳〵の魚頭雲々、庖丁聞書、盛合せぬ品々、猪に兎雲々、尺素往来、巡役の朝飯、明日令勤仕候雲々、四足者、猪、鹿、羚、熊、兎、猯、獺等と、魚鳥よりも初めに挙たり、海人藻芥に、四足はすべて不備之、然るお吉野天子後村上院は、四足おも憚らせ給はず聞召けるとかや、四足の内にも狸汁は賞玩の物と見えて、親元日記〈四〉完正六年十二月朔日、御被官広戸但馬入道狸進上と有、これお汁にすること、守武千句また大草料理書等にある事は、雑考の中に載たればここに雲ず、料理物語〈完永中の刻〉狸汁野はしりは、皮おはぐみ、たぬきは焼はぎよし、味噌汁にて仕立候、妻は大こんごぼう、其外色々、古法は味噌汁にあらず、酒のかす酒塩お用たり、貞徳が狂歌、腹までもまた入たらずうましとて舌つゞみ打たぬき汁かな、〈精進にも此お学べり、後にいへり、又他物おもて似せ作るお何もどきと雲もの色色あり、虚栗集妾語戒お、一晶が句、〓こちお煮て河豚に売る世の辛き哉、今いふふぐもどきなり、〉また同書獣之部、鹿は汁かひやきいりやき、ほしてよし、狸はでんがく、〈山椒みそ〉猪汁はでんがくゝわし、兎は汁いりやき、川うそかひ焼すひ物、熊はすひ物でんがく、いぬはすひ物かひやきとあり、犬は鷹にも飼、人もくひしなり、徒然草に、雅房大納言鷹にかはんとて、いきたる犬の足おきりたりと讒言したる物語あり、文談抄に、鷹の餌に鳥なき時は、犬お飼なり、少し飼て余肉お損ぜさせじとて、生ながら犬の肉おそぐなり、後世も専これお用ひたりとみえて、似我蜂物語に、江戸の近所の在郷へ、公より鷹の飼に入とて、犬お郷中へさゝれけるといふ物語あり、続山井、たかゞ峯のつち餌となるな犬ざくら、〈宗房〉しゝくふたむく犬は鷹の餌食かな、〈勝興〉友山の落穂集に、我等若き頃迄、御当地町方に於て、犬と申者は希にて見当不申事に候ば、武家町方共に下々の給物には、犬に増りたる物は無之とて、冬向に成候へば、見合次第打殺賞玩致すに付ての義なり、〈是故に、近在迄も求めしこととしらる、〉これらのことありし故に、犬お殺す事お禁ぜられたるより、此風止て昔はくひたりと聞ば、あるまじきことのやうにおもふはよきことなり、むかし三州岡崎に獣店ありしとなり、夷曲集〈正成〉獣のみかはおはいでみせ棚のこゝやかしこに岡崎の町、むかし江戸四谷に猟人の市立ありしとぞ、是故に今も獣店といふあり、類柑子に、腸お塩にさけぶや雪の猿、哀猿の声さへたてぬなりけり、昔四谷の宿次に、猟人の市おたて、猪、かのしゝ、羚、羊、狐、貉、兎のたぐひおとりさがして商へる中に、猿お塩づけにして、いくつも〳〵引上て、其さま魚鳥おあつかへる様なり雲々といへり、〈これに昔とあれば、当時はなかりしこととしらる、延宝天和のころにもやありけん、煮売の出来しは明和このかた歟、〉