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古事記伝
四十
猪甘、甘は義(かひ)なり、〈○註略〉古は上下おしなべて、常に獣肉おも食たりし故に、其料に猪おも養置るなり、〈中昔よりこなたには、獣肉お食こと無き故に、猪お養こともなくして、猪といへば、たゞ野山に放れ居る猪のみにて、其は漢国にて野猪と雲、崇峻紀には、山猪とあり、人家に養る猪は豕にて、俗に夫多と雲、〓と雲も同物なり、豕お韋能古と雲は、たゞ猪と雲ことにて、鹿お加古と雲、馬お古麻と雲と同じ、猪之子のよしには非ず、猪之子は豚字なり、○中略〉さて猪お養たりしことは、続紀十一、天平四年七月詔、和買畿内百姓畜猪四十頭、放於山野令遂性命、とあるにても知べし、書紀天智巻に、猪槽(いかふふね)見え、仁徳巻に、猪甘津と雲地名も見え、〈此地津国東生郡なり、〉姓氏録に、猪甘首と雲姓も見えたり、さて猪甘と雲物は公の猪お飼職お仕奉る者なり、