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吉原雑話
初松魚(○○○)の咄し一紀の国屋文左衛門が〈紀文本宅、三十間堀なり、〉大巴屋とやらへ来り遊びし頃、まはし方十兵衛といふもの、〈異名母衣重兵衛とて、浅草祭に山の宿の大母衣誰れとても荷ふ人なきお、此者一人にて負ふて数辺まはりたる大力なり、故に其名あり、佐野次郎左衛門お、捕手の一ばん、ひやうごや八つ橋さわぎ、〉或時紀文〈紀文俳名千山〉重兵衛にいふは、ことしは初松魚是非に此里にて喰ひたきものなり、其方がはたらきにて、誠に江戸に一本も見へぬうち料理してくふべしと申付ける、かくて重兵衛肴問屋残らず頼み置き、前金おうち、初日入来りたる船おば悉く買もとめて、頓て迎ひの人お遣し、紀文入来りけるに、鰹たゞ一本お料理して出しける、大勢の牽頭末社あとおはやく〳〵と声お懸れども、唯一本出たしたるのみなり、かくてはもどかしきとて、紀文直にはしごより下り、もはや魚はなきかと雲時、重兵衛庭の大半切二つ三つ蓋おとり、是程御座候得共、初鰹はめづらしきが賞玩なり、あとは家内のもの近所の人々にふるまい申すべしとて、一向に出さず、其時当座の褒美とて、金五十両くれ、後々も重兵衛が気象お嬉しがりて、町屋敷など買て遣しけるとなり、