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筆のすさび

大食会 いつのころか、備後福山に大食会といふことおはじめしものあり、其社の人皆夭折せり、ひとり陶三秀といふ医者ありしが、これははやくさとりて其社お辞して、六十余までいきたり、予が若き頃三秀が甚だ小食なるお見て、其よしお問ひしに、其社中皆異病にて死し、おのれ減食してまぬかれしといふ、其後近村平野村にまたこの事はやりて、人多く異病おやみぬ、其社中に清右衛門といふ若者あり、膂力も人にすぐれ、無病なりしが、ふと遺溺す、それよりしげくなりて、つひに坐上に溺するお覚えず、発狂して死したり、食ふてすぐに食傷はあらざれども、つもり〳〵て不治の病となるなり、一日に五合の食は吾邦の通制なり、是にて飛脚おもつとめ、軍にもいづるなり、されば人々心得べき事にこそ、軍事には一升、戦の日は二升のかては、其時々の事にて常にあらず、