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御日記
完永元年三月廿八日、将軍家〈○徳川秀忠公〉渡御松平下野守忠郷之館、私に曰、松平下野守、〈本名蒲生〉兼日前将軍秀忠渡御有べしと被仰渡しかば、御殿之設、御成門お建、〈○中略〉已御成の日は天気清朗たり、渡御有し二御膳お献ず、山海の珍味お尽す、御膳具には金銀お以て濃、配膳御役は将軍家の近臣勤之、鬼取の衆中御料理の品々お一々嘗試之、