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卓子宴儀
卓子宴のことたるや、しつぽこと称して調味の名とすれども、しつぽこと雲ことは、卓子のことにて、即に方卓子に四下裏坐して、以一器相倶に哺啜することなり、然れども其濫觴お不知、嘗て三礼にも不見、其余の載籍にも不見、何れの頃よりか支那に行はるヽ宴式なり、近世大清人長崎に来り興行するに慣て、和邦都鄙此彼稍流布せり、さればしつぽこは非唐音、猶和邦の非音訓、故に無正字、疑是蛮語ならんか、卓子宴は個々饌具に非ずして、一個の方卓子の上頭に設る器お相倶し哺啜する者なり、和邦宴会毎に引盃と雲ものお設各前、揚盃互に巽譲の礼話あり、次序端正にして勧酒すること、大率三たび順行して、其礼式お整ふこと、宴会の規則なり、畢て別に一個の盃お設て、室中の列客相互に献酬置酒す、且茶事の宴式と雲もの、一個の以茶碗、室中の列客相互に喫茶、以為一個の盃にて置酒すると、一個の以茶碗喫茶こと、酒茶ともに一器合啜することは、曾て卓子宴の意義に通亨一般なり、蓋其由来お未だ詳にせずと雲ども、説話投機親友の交接なり、〈○中略〉 明和八年歳次辛卯三月吉旦 張藩微臣雲萊太田資玫道圭、滌毫於整広斎、