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嬉遊笑覧
十上飲食
しつぽく、食卓は食おのする机なり、唐人流の料理おしかいふ、陶説隆慶窯卓器、清異録に、五代の時、貴勢以筵具たがひに相尚る、方丈の案なほ足らず、傍に二案お増して数百の器皿お排ぶ、これお綽楔台盤といふ、又北轅録に、淳熙丙申待制張政といふ者、金国の生辰お賀する使にゆく、館に抵れば晩食お供す、まづ茶筵具瓦〓お設く、此にいふ卓器即筵具なり、一卓の器みな、一斉にそろひたるものなり、磁色もやう倶に類従す、明窯にはこの隆慶窯ぞ始なるべき、今はさかりに行はる、古人は几筵お用ひたり、今の卓は几に代るものなり、楊億談苑雲、感平景徳中主家造檀杳倚卓、借倚卓字、後人以木作椅、卓又卓字加木傍作〓俗書也、おこたり草に雲、京師祇園の下河原に、佐野や嘉兵衛といふもの、享保年中長崎より上京して、初て大椀十二の食卓おし弘めける、是京師難波にて食卓の始とかや、嘉兵衛が娘はんといふ老婆、近ごろ迄存命せり、大坂にて彼是食卓料理あまた弘めたれど、野堂(のど)町の貴得斎ほど久しくつゞきたるはなし、江戸にも処々にありしなるべけれど行はれず、浮世小路の百川茂左衛門なども、初め食卓料理したるなり、大椀は大平なるべし、故にそば切お大平にもり、上おきしたるおしつぽくと呼、今は大平にもらねどもしかいふは、上おきの名となりしやうなり、又葱入るゝお南蛮と雲ひ、鴨お加へてかもなんばんと呼ぶ、昔より異風なるものお南蛮と雲によれり、これ又しつぽくの変じたるなり、鴨なんばんは馬喰町橋づめの笹屋など始めなり、