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長崎聞見録

唐人館唐人館は、東北に山おかたどり、西南の方に出入の門あり、その三方はきびしく二重に囲みあり、無用の者は猥りに入事あたはず、所以お求て此館内に入、委しく見たり、菓子煮売薬種等の店あり、又常の唐人、部屋々々多くありて、その門戸々々にはこと〴〵く額聯などお掛たり、予一日船主陸明斎が客館に至るに、種々の饗応あり、器物は皆唐地の焼物にて、其焼ものゝ器物お乗たる台は、日本にて製したる木地台なり、猶其数多く並べ立て、恰も仏家百味のおんじきお備へたるにひとしかるべきなり、其品味尽く食なれざる珍奇にて、一々枚挙するに暇あらず、試に其略お論ずれば、麪粉にて衣おかけ、油にてあげたる形梅の核のやうなるものあり、是お食ふに、裏にぼりぼりとはぎれあり、口中次第にかんばしく、甘味いはんかたなし、これお尋ぬるに、鶏骨お終日砂糖にて煮る、これに衣お掛け油にてあげたるものなり、また笋のほそきお塩漬にして、甘ぼしにしたるやうのものあり、これお食ふに、塩味の裏に甘味お帯たり、是蘆笋の塩づけなり、又ぶた鶏のるいお、さま〴〵に料理ていだす、ことに燕巣(えんす)の酷のものなどは、唐にてもいたつての賓客にあらざれば、つかはざるものまでも饗応す、酒ももとより陶器に入ていだす、唐酒は少し苦味のうちに醋味おおびたり、このみにより日本の酒もいだすなり、主人は下戸のよしにて、べつに一唐人おいだし、献酬饗応せしむ、また給仕人五六輩もかたはらに連立し、とき〴〵酒茶等にいたるまでも持はこぶ事なり、さて酒酣におよべば、主人興に乗じ、愛妓お呼いだし酌お取らしむ、また皆扇面おいだして書お乞ふ、主人、巍元春といふ十七八歳なる者およびいだし、執筆せしむ、たかき机あり、此まへに曲彔おおきたり、巍元春此曲彔によりて、数十の扇子一時に揮毫しおわる、是より唐茶の饗応あり、菓子は雲片糕、月餅、連環、かすていら、種々蜜漬竜眼肉の類なり、さて其残菓は紙につゝみ、各々くわい中してかへる、主人は始終曲彔によりてもてなす、かへりには曲彔お下りておくる、実に一高興といふべきなり、