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梅園日記

あはせ夏山雑談に、俗にいふ飯のさいの事お、あはせといふなり、宇津保物語、枕草紙にも見えたりとあり、按ずるに、宇津保物語〈蔵開上巻〉御かゆのあはせいおのよくさ、しやうじのよくさ、又〈同中巻〉ちうのわんに御わけべちにすこしわけて、しもの御あはせなど、もてまいれり、又〈同下巻〉ゆづけして、あはせいときよげにて、とみにまいる、落窪物語雲、あはせいときよげにて、かゆ参りたり、枕草紙雲、あはせおみなくひつれば、花鳥余情寄生巻雲、御あはせてうぜさせなどしつゝ、〈按に源氏物語各本にことさらにてうぜさせ給ふなどしつゝとあり、〉古事談〈僧行篇〉雲、仁海僧正は食鳥人也、房に有ける僧の、雀おえもいはず取ける也、件雀おはら〳〵とあぶりて、粥漬のあはせに用けるなり、顕昭拾遺抄注雲、あはせの中に木のめといふは、あけびのつるのわかき葉おとりてつけたるなり、くらまのめつけと雲物也、袖中抄〈かつしかわせの条〉雲、にへどのと雲もしるあはせなどする所なり、大槐秘抄雲、御あはせ御くだものは、人の参らせたる物おきこしめせども、御飯はいかにも内膳の御飯おめす事にてさふらふなり、続世継〈いのるしるし〉雲、まなの御あはせどもとゝのへて奉り給り、古今著聞集〈興言利口部〉雲、妙音院入道殿雲雲麦飯に鰯あはせにて、隻今調進すべきよし仰られければ、〈按に散木集に、川につりする翁の有お尋ぬれば、ごさいのなければ、もとめさふらふなりといふお聞てとあるも、もとは御菜とありけんお、ごさいとうつしたるならん、御菜とあらば、御あはせとよむべきなり、〉など見えたる皆菜なり、平他字類抄に、菜(あはせ)とあるにて明らかなるお、花鳥余情にあはせは食物おいふ、俗に朝の飯おあさあはせといへり、合子にもる故にあはせといふにやとの給ひしは御誤りなり、又安斎翁の尺八笛に、あはせは飯のさいの事也、飯にあはせてくふ故なりとあり、又按ずるに、類聚雑要抄に、四種酢塩酒醤、また厨事類記に、四種器酢酒塩醤、或止醤用色利、裏書雲、色利煎汁、いろりとは大豆お煎たる汁也雲雲、或鰹お煎たる汁也、といへり、また門室有職抄に、人々羞酒飯儀の条に図あり、図お撿るに、高坏十二本の内、第二の高坏に四種お居て、下に注して雲、四種はみそ、しほ、す、さけ也、近代は酒お略して蓼お用、蓼なき時はわさび、はじかみ、みそ、蓼必説(とく)酢也とあり、又今川大双紙に、しきの御肴にはじかみ塩などおすべてきに入て参らする事は雲々、はじかみは物の味はひおよくする物なり、きこしめす時、味はひわろき時は、入てきこしめせばよきとのこゝろなり、又塩もきこしめす物に不足ならば、入てきこしめせとの義なりとあるも、人々の好にしたがひ、上の四種の類おくはへてあはするなり、さる故にあはせと名づけしなるべし、〈笈雉随筆に、豊後のはうちやう汁の膳の上に、小猪口に醤油お入て出す、もし汁淡味なるには、是お加ふるなりといへるも、古風の伝はれる也、〉又御湯殿上日記雲、慶長三年五月四日、じゆこうの御かたより、御そへおかずとて、御まな参ると見えたるは、今も婦女のいふおかずなるべし、数々あるおいへる歟、又かずはかづにて和の義にや、