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秋里随筆

備後鞆津鰒汁援に備後鞆の津は、近辺船だよりよき湊にして、日夜入出の船おふき繁津なり、かゝる海浜なれば、諸魚の価下直にして、完く自由おなす、時に此地別て鰒おふく食すことなり、余国に異て、当地歴々の人だに是おいとはず食すに、尺にたらざる鰒は料せず、焚火にくべよき時分引出して、皮お剥て柚醤油などにて食す事なり、わきて鰒は頗毒なれば料理第一に念入、或は塩水にさらしあぶらおぬきて食すに、折とし時としてこれがために命お落すものすくなからず、しかあるに此当地のもの、いにしへより鰒にあたりて死たるものかつてなきよしおいふ、一応不思議の事なり、予〈○秋里籬島〉つら〳〵鰒魚お思ふに、他の魚に異りて毒おふかるべし、されどこれお食しかならず命お失ふと決しがたし、加之俗説に北向の鰒お食せばかならず死すといひ、或は料理杜撰なれば毒にあたると決定せしものならば、蓋鰒お恐るゝことなし、此説全く虚成べし、是如何といふに、料理いかにも丁寧おつくし、且魚の新古おわきまへ食するに、折として魚毒にあたり命お失ふ者まゝあり、亦別条なきものあり、されば魚の新古によらず、料理の丁寧杜撰にもかぎるべからず、已腹中虚時是お食すれば魚毒のあたりつよくして、命お落すなるべし、亦鰒お食すれば、決て寒お防くなどいふ、元来鰒魚は温なるものなれば、極寒の節是お食すれば、寒さおしのぐこと全く自然の理なり、は或は仲春の頃より下春にいたりては、菜たね鰒といひて、かならず毒おふしといふ、案るに、都て立春より草木陽気おふくみて芽だゝんとす、況人は万物の霊なれば、是におなじく陽気の時いたれるに、温物お食すがゆへおふく是がために死す成べし、此理如何といふに、医療に太陽より陽明病にいたり熱になる時は、大黄剤の寒薬お用、大陰小陰にいたり、熱陰に閉る時は、附子剤の温薬おもて病お治す、しかるに表性の陽病なるに温薬の附子お用へば、かならず命危し、亦裏性の陰なるに、寒薬の大黄お用ば、決て命保こと不能、将馬犬に時子烏頭の温薬お食せば忽死す、牛猫これお食すとも不死、全く馬犬は陽獣なり、牛猫は陰獣なるがゆへなり、此理おもつて陽気にいたる時節に鰒お食すれば、かならず命危きお考ふべし、蓋鰒お毒魚としつて、食す者は大胆、毒なきものとこゝろへ食す者は愚人也、かならずしも主親につかふる人は是お食すことなかれ、はからず不忠不孝の名お下すべし、且其人品お損ふことなり、