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浪花の風
ほね抜泥鰍の調製、江戸と替ることなく、刻み午房お加へ鶏卵おかけたる抔、全く江戸の通りにて、三郷一般にあり、元この調理方は、文政の始、予〈○久須美祐雋〉が二十四五歳の頃、江戸本所大川端石原町にて、石井某といへる鰻店にて初て製せしに、今は三都一般に専ら行はるゝこととはなりぬ、しかし初は鶏卵は入るゝことなかりしが、其後に加ふることとなりぬ、今も江戸にては鶏卵お加へざる製もありと覚るに、坂地の製は一様に鶏卵お加ふる様なり、この骨抜の調理お初めたる石井某は、其後店お両国薬研堀へ転ぜしが、其後はいかゞ成たるや知らず、其元住し大川端の店は、旧に依て石井おば名乗しかども、即席料理の店となりて、其主人は橋本や富五郎といへる船宿にて兼たりしが、富五郎は天保十二年丑年に死して、後は其家も絶へたり、うなぎ蒲焼鰲享抔は、古来よりある調理なるに、江戸と坂地とは其製違ひぬるに、骨抜の泥鰍に限りて、千里一様なるもおかしといふべし、都て新製の一時に伝播せしゆえに、かくは一様なることなるべし、